お礼とご報告

こんな長文をSNSに書くとは頭あかしいのかと言われそうですが、国が認定済みの頭おかしい人になってしまったのでご愛嬌。

いろんな人にお世話になったことの区切りがつき、一人一人にLINEするのもまだ時間がかかるので、まずはこの場で感謝とご報告をさせて下さい。元気がない時には、こんなクズでも生きてるんだと笑って幸せになって下さい。



転職活動が終わりました。

正確に言うと終わってしまい、終わらせてしまいました。

最終的にはカケラもやりたくない仕事を行ったこともない場所でします。友達のふるさとでもあるので気が引けますが、正直好きな地域ではないです。仕事をする前から絶望で満ち溢れています。仕事をしてる時もそうですが、今も死んでしまいたい気分です。




新卒の時から年収でしか仕事を選んでおらず、インターンも頑張って行ってたりしました。しかし三年冬の職場見学で社員が和紙に墨で目標を書かされてるのを見て、宗教っぽさが怖くなり軸がブレていきました。なんか違うなと思いながらも金払いが良さそうな会社を受けて内定をもらうものの、最終的に「記者かっこよくね?」と思い始め、ろくに新聞を読んだこともないのに新聞記者になりました。ここから完全に人生が狂いました。自分を大きく見せることが得意だったので面接は割とトントンに進みました。面接の度に部屋から泣きながら帰る女の子が出てきて、やべえ会社だなと思いつつも受けました。最終面接はアウトレイジそのもので、確実に何人か人を殺してるであろうおじさんにボロクソに言われました。ムキになって言い返して、大げんかの挙句内定が出ました。面接で差別発言されたと朝日新聞に特ダネプレゼントする予定だったのに。人事部曰く「みんな本山くんの採用反対だったんだけど、一人だけ『絶対に採用しろ!うちの未来を変えるに違いない!』と言った役員がいてね」と聞かされました。入る前から嫌われてる内定者はなかなかいないでしょう。当時はこの役員に感謝しましたが、最終的にこの役員のおかげで僕はつぶれました。正直内定承諾以降にやっと新聞の斜陽性、自分の適性のなさに気づき「これはやらかしてしまったのか」とビクビクしながら過ごしてました。当時は青かったので、やれ社会正義だの、やれ自分の記事を読んでもらう喜びだのでキツくてもやっていけるだろうと思いました。入ってからYahoo!ニュースやLINEニュースも特ダネもいっぱいあったけど、何一つやりがいを感じなかった。自分の紙面が歴史になるとか厨二すぎた。学校に自分の署名記事とか出て感動するとか一週間で飽きた。あの記事見たよ!とか友達に言われるのは嬉しいには嬉しいけど、一瞬で飽きた。



いよいよ入社。福岡の雰囲気は受験当時から苦手でした。福岡市で過ごす中でとにかくアウェーさを感じつつも、かっこよく働く先輩に憧れたものでした。入社2日目には朝の5時半まで研修が組まれた時に、「やっちまったな」と気づくも遅かったです。とはいえバイトで長時間労働も慣れてたし、体育会のノリも問題ないと思い研修でもバリバリやり、依怙贔屓されまくってました。編集局長が僕を絶賛してましたが、この人が裏ではめちゃくちゃ評判悪いことを知り、やっぱりやっちまったなと思いました。それでも目をかけてもらうことは多く、自分はエリートだと思い込んでました。一年後には最も落ちこぼれになるとも知らずに。

研修1ヶ月後、人事部に呼ばれて配属を伝えられました。研修は一年やると言われてたのに、どういうことやっちゃねんと思いました。「早く現場出してやるから一番最初に本社戻ってこい」。どうやら最終面接で威勢のいいことを言ったのが、メンタルの強さと解釈され、こうなったようです。あぁ俺は選ばれたんだなと喜んで配属先に挨拶の電話をしました。そこから地獄は始まりました。挨拶の電話で人生最高を超えるブチギレをかまされ死にたくなりました。あまりにキレるもんで人事部が現場に注意をするレベルでした。配属先を研修の講師たちに伝えると、大笑いするか心配されるか憐れむかのどれかのアクションを必ずされました。まさか初任地が日本屈指の事件発生現場で、業務のキツさから武闘派が集められた職場とはこの時知りませんでした。社会人が職場で人妻とセックスしたり、ぶん殴ったり、お金使い込んだりするとは思いませんでした。研修でヤバい先輩トークに出てくる人たちが配属先に集結してました。送り出されだ時のアドバイスは、「犬でも猫でも目があったら全力で頭下げとけ」でした。夏頃に本社に寄ったところ、先輩から「まだ辞めてないの?」と驚かれたことが懐かしいです。研修期間が短く本社の先輩とあまり交流が無かった僕ですが、初任地地獄送りの噂でいろんな人が僕の名前を覚えてくれて、心配の電話やメールをくれました。




忘れもしない522日。配属初日から徹底的にやられ、6月になるころには今と同じくらいの精神状態になっていました。金田一耕助シリーズに出てきそうな片田舎で一人っきり、寝不足で死にそうになりながらミニストップの駐車場で泣きながら倒れていました。思い出してここに書こうとする度に吐き気とパニックで気が狂いそうになるので割愛します。月400時間に及ぶ長時間労働、罵詈雑言、人格否定、法律完全アウトの指示の数々...。まともに生活できず、母親に来てもらって数ヶ月も面倒をみてもらったにも関わらず慣れるどころかますますおかしくなりました。泣く、叫ぶ、アクセル踏みしめるという動作が暴発し、死にたくてAmazon練炭と縄を買うも使う暇すらなく、一人も友達もいないで怯える中で、2.3時間の睡眠とともにブチギレられる日々。佐川急便の兄ちゃんがいつも家にいないことを不審がって警察が来たこともありました。川に飛び込んでも死ねずに、一生〆切に追われて死ぬんだ。いや死ぬことすらできないんだと苦しみました。11時で閉店する田舎仕様のセブンイレブンではバイトにガブリチュウと呼ばれてました。事故現場に行くたびに俺が巻き込まれればよかったと思いました。会社の体制変更、新聞社の衰退もあり、上司もそれどころではなかったのでしょう。具体的に何があったかは書けないけども、死ぬまできっと僕はこれに苦しみ続けるに違いないです。



年が明けたころ本当に限界を超え、カミーユビダンよろしく廃人になり、職場のおじさまたちも「こいつ完全におかしくなってんな」と気付いて病院へ。たいそうな名前が付いた診断書のおかげで休職に入るも、その期間中も普通に呼び出しや記事執筆はしていた地獄。末期にはまともに会話できず警察署で発狂して騒いだり、友達の名前も忘れるほどでした。休み始めの初期、元カノの写真見せられて本当に誰か分からず、この子めっちゃ可愛い誰?と聞いたのは伝説です。でも休み始めたところで何も変わらず、今もお酒がないとお医者さんのいう「治ってる状態」にはならない。毎日馬鹿みたいに泣いて、吐いて、寝て、それの繰り返しのお休み期間でした。医者曰くワーカーホリックよりも無職や引きこもりの方がつらいらしく、後者をやり続ける人はある意味天才とのこと。働いてる間、菅野美穂に甘やかされる妄想と同じくらい首を吊る妄想をするのが好きになった。たぶん大学時代までの自分には二度と戻らないと思う。戻ることができる職場を探すも、軍隊でいじめ抜かれたやつを受け入れてくれる正常な人が集う職場は無く、またもや息子を殺された母親に感想を聞く最低な仕事をすることになった。蹴られて骨を折りながら仕事したこと、違法行為に加担させられたこと、銃口を向けられたこと、監禁されたこと。日々ストックするキチガイ話は友達の前では使えるものの、一人でいるときは自分を何度も殺すトラウマにしかならない。死にたい気持ちは恐ろしいことに仕事で生きた。死ねそうな現場が大好きだった。山火事、犯人未確認の殺人現場、洪水の川、崩落したガケ。他社がヘリコプターを使う中、全身ワークマンをまとって突撃しても死ねなかった。骨折したときも、これで休めると思ったら、今まで以上に怒られながら仕事をした。



遅れてきた休みを消化しても何も癒されず、今もはるばる飛行機を乗り継いで医者に診てもらう日々。新卒の時に「やりたいこと」なんて気にせず、普通の会社にいってたら、楽しく真っ当な生活してたのかなぁ。悔しい。

最後は精神的につらくて休んですみませんと職場のメンバーに囲まれて泣きながら謝罪した。いじめの被害者がいじめっ子に囲まれて、いじめがしんどいので不登校になってすみませんと泣きながら謝らせる学校がどこにあるのか。拷問だった。ゲーゲー吐きながら家に帰ったことを忘れない。



年収は150万下がってもいい、マスコミは嫌だ、田舎は嫌だ、斜陽は嫌だ。この4つの軸で転職活動をした。

行きたい企業は年収250万も平気で下がった。住宅手当抜きで都会でその年収なら暮らすのは難しかった。マスコミ経験者は営業もエクセルも見積りも知らないのでマスコミ以外は気持ちいいくらいに受からなかった。潰れかけた会社の子会社くらいしか引っかからなかった。マスコミしか受からず、となると必然的に斜陽は避けられなかった。年収はいらんと言ったのに100万上がった。皮肉にも新卒で求めていたのに近い形になった。時間と遊ぶ場所が無いとこの紙幣は無価値だと気づいた僕には地獄だった。全て捨ててタイか南アフリカで生きていこうと思うも、ビジネススキル皆無の自分が行ったらのたれ死ぬってのがすぐに想像できた。ストーリーで渋谷とか梅田で飲んでいるOLのインスタに猛烈に嫉妬した。羨ましかった。結婚や出産を知らせるハガキを死んだ目で見るハゲ25歳無職が完成していた。


もう一度就活をやり直そう。年収もぐっと下げて、仕事も選ばずやり直そう。ダメなら今の会社に戻る覚悟を持とう。そう思ってもメンタルはすでに限界に来てた。久しぶりに過呼吸になってパニックになってるところである人が「もういいんじゃない」と止めてくれた。あっけなく人生かけた勝負が終わった。進んでも負け、退いても負け。このままだと終わりが見えず首を吊るか貯金とにらめっこで引きこもりになると思ったので区切りをつけた。泣いた。たった今のことだ。死にたいと思っているのは岡本社長だけじゃない。


新天地で楽しみなことは何も無い。

また病院に通いながら休みもなく働くのが目に見えている。物欲も性欲もなく希死願望と睡眠欲だけが湧き上がる。きっと2年くらいで精神的にやられると思う。ちなみに生命保険も銀行のローンも組めない体になりました。ヤクザかよ。

この体験をyoutubeで話したら小遣い稼げると言われたのでやろかな。ちなみに学生時代から止まったままの出版計画も進めます。



今あるのは関西に帰りたいなという気持ち。

夢は家族で楽しく大阪の南のほう、もしくは京都との境目あたりで暮らすこと。新しい場所では恋愛も散財も定住もしないと決めてるので絶対に叶わない夢にまで見た欲求。これから2年くらいは本気で公務員試験の勉強をして、どこかの市役所に入ってこの夢を叶えられたらなと思う。今はお金や精神的な理由で専念はできないけど、カタギの仕事に今回はついたので、次はやりたいことを自由にしていきたい。そのためにあと2年でエゲツないくらい貯金したい。タバコと元気になるお薬とお酒と牛丼の無限ループで、ベンツEクラスくらいは貯めたい。なんらかの形で大阪万博に関わりたいな。報道もしくは開催側で関われたら、もうほんまに人生リタイアモード。


会社の人たちだけでなく、友達や先輩たちに本当に助けられた一年半だった。1年ですぐに辞めたサークルの先輩、広研で憧れてただけであまり話せなかったずっと上の先輩、労基署に掛け合ってくれて弁護士まで紹介してくれたZIPPONの先輩。社福、広研、ZIPPONABURI、中高の友達たちも親に安否確認するほど心配してくれた。ほかにもインターン先やなぜか仲良くなった大学の友達たちにも感謝しきれません。これからの人生を恩返しに全力投球したいと思っているくらい感謝しています。本当にありがとうございました。特にウインズの連中にはいっぱい迷惑かけてごめんね。今はどうもLINEをするほどの気力が無いので、皆さんにはゆっくり報告させてください。同期たちとは内定時代はバチバチやったけど、みんながぶっ倒れ、俺も倒れる中で、同じ地獄を味わった人たちとして本当に不思議な絆で結ばれてると思います。


それと勝手にソウルメイトだと思っているのが高橋まつりさん。電通一年目で過労自殺してしまった方だ。旧日本陸軍みたいな生活をしている自分は仕事で相談できる人がおらず、ほぼ毎日まつりさんのツイッターを見ては、激しく心から同意していた。彼女の悩みも怒りも悲しみも心から分かったと言ったら語弊があるけど、2018年で自分ほど彼女の冥福を祈った男はいないと思う。証券カードのパスワードはまつりさんの名前だし、まつりさんのお母さんの本も読んだ。辛いときはツイートを見て、自分と同じことを考えている人がいる安心感をもらった。彼女の命日までは絶対に仕事を辞めないと誓って、その通りがんばれた。来月はお母さんと弁護士に手紙を書き、叶うならば墓前に手を合わせようと思っている。壊れてしまっても何とか生きているのはまつりさんのおかげだと思う。


最後に僕のように潰れてしまった人は沢山いると思う。長時間残業だけでなく、パワハラやセクハラ、慣れない地域、もしかしたら友情の決裂や失恋でなることもあると思う。甘い、ゆとりだという人もいるだろうけど、どうか負けないで。負けないでというのは逃げて、相手をしないでということ。もちろん僕のように逃げても転職がうまくいかない人もいるし(むしろそんな人が多いはず)、一生薬が手放せなくなるかもしれないし、辛いのが続くのはほぼ間違いないけど、若者を潰すおじさんは悪気の有る無し問わず最低だと思う。裁判をしてもいいし、武力制圧でもいいし、とにかく屈しないでほしい。どうしようもなくなったら僕が記事にするし、とにかくあなたが壊れることはない。ぶっつぶれる新人が多い業界ということもあり、メンタルが不調になった同期が多いけど、総じて「あのとき逃げてよかった」と口を揃えて言う。自分もそう思う。碇シンジはアニメの世界。逃げちゃダメだの最果てには未来の楽しい可能性を全部消されてしまった悲しいおじさん、おばさんがいることを忘れないでほしい。そんな人をたくさん見てきた。相談して解決することは少なくとも周りの人には声をかけてほしい。人事部や上司には見極めてからね。ちなみに何に苦しんでいるか分からない人もいると思うけど、だいたいが孤独だと思う。長時間労働、各種ハラスメント、そういうのが最終的に孤独感になり、立て直す間も無く仕事が重なり、最終的に人は壊れると思う。一度少しでも壊れたら、大なり小なり人生に必ず関わります。そして弱くなります。400時間残業耐えられていた僕は末期には80時間くらいで瀬死状態でした。壊れるのを見極めるのは難しいですが、感情が制御できないパニックになる、死ぬ妄想を頻繁にする、意味もなく泣けてくる、とかが前兆かと。僕は上原亜衣AVを見た時に呼吸止まるほど悲しくなって泣きまくって自覚しました。今でも多分見たら泣きます。


アホみたいに泣いていたけど何とか書けた。去年仕事のキツさに行き詰まって書いた遺書は捨てました。これがそのかわり。

今、福岡空港から慣れ親しんだ仙台空港に向かう飛行機に乗っています。悪天候で、関空セントレアに着陸するとのこと。墜落して俺だけ死ねばいいのに。


長文失礼致しました。

皆さま辛いことあったり、悩んでいる人がいたら、こんな人の意見もあると紹介してあげて下さい。お世話になった分、困ったり悩んでいる時は何でもするので力にならせてくださいね。

またLINEで直接ご挨拶させてください。

本当に皆さんありがとうございました。

結婚式ムービーの製作はお任せ下さい。

そのうちテレビで見かける(願わくば犯人という形ではなく)日も来ることでしょう。

髪が薄くなり目が死んでるラリ山が出たら少しだけ応援お願いします。